2012年1月1日

あけましておめでとうございます

カテゴリー: 日々 at 00:00 by たかはしあつし

 早いもので今年も残すところあと一年ほど。今年もお世話になった方々、ありがとうございました。来年も適当によろしくお願いいたします。

2011年12月30日

今年に撮った写真で気に入っているもの

カテゴリー: 日々 at 16:00 by たかはしあつし

 ぎゅっとなっている猫。

ぎゅっとなっている猫

 夏空。

夏そら

 秋葉原には秋葉原なりの月が昇る。

秋葉原には秋葉原なりの月が昇る

 迷う手。

迷う手

 チョコレートコスモス。

チョコレートコスモス

2011年12月28日

小説や映画の覚え書き

カテゴリー: 日々 at 19:05 by たかはしあつし

 小説。
 百田尚樹さん「風の中のマリア」。およそ三十日という生涯を駆け抜けるスズメバチの戦士マリアと、彼女たちの帝国の物語。読んだその夜に夢に見るという魅了されっぷり。
 何かを思い出させる要素がある気がしていたのだけれど、女性のみで構成された戦士たちというところと、その女性たちの名前の雰囲気が、八木教広さん「クレイモア」と重なる。
 恩田陸さん「チョコレートコスモス」。演劇を舞台に二人の女優が主人公という実に僕好みのお話。正直なところ前半はいまひとつだったけれど、後半の畳み掛けがすごい。しかし途中でその気配を察したけれど、一冊で完結しておらず、あとがきによるとあと二冊の予定とのこと。待望せざるを得ない。
 小説ではないけれど、ここ二年ほどちょこちょこと読み続けてきた「たいした問題じゃないが イギリス・コラム傑作選」を、遂に読み終えてしまった。しかし遠からず読み返すつもり。
 石持浅海さん「君の望む死に方」「君がいなくても平気」「耳をふさいで夜を走る」。どれも面白かった。「君がいなくても平気」は、石持作品が持つミステリー要素とは別の部分の美しさが際立つ物語だった。読者が早めに真相にたどり着くように計算されているのも、そこに重きを置いてはいないからだろう。「耳をふさいで夜を走る」は、僕がこれまでに読んだ石持作品には薄かった血と精液の匂いに溢れていたので、そこに戸惑いはあったけれど、読み終えてみればやはり鮮やかに面白かった。

 映画など。
 川端康成さん原案、ジュリア・リーさん監督、エミリー・ブラウニングさん主演の映画「スリーピングビューティ」が、表現も展開も期待をさらに超える変態な作品だった。どうかしている。
 globe「wanna Be A Dreammaker」のPVが、これまたどうかしている。特にマーク・パンサーさんが。
 岩井俊二さん製作総指揮「DOCUMENTARY of AKB48 to be continued」。岩井さんは変わらずに、少女の輝きを撮らせたらさすがだなと思わされた。近いうちに「花とアリス」もまた見よう。

 フィギュアスケート。
 僕の中でチビツンデレに設定されている高橋成美さんがNHK杯のエキシビションでかつてない弾けっぷりを見せた。踊りまくって踊りまくって「大満足!」という顔だった。僕も大満足だった。

ここ数ヶ月をダイジェストで

カテゴリー: 日々 at 19:00 by たかはしあつし

 いつもすごい勢いで室内を走り回る小さな友人たちがいつかあの和室の障子を破るだろうと危惧していたのだけれど、彼女たちと同じ勢いで遊ぶ僕が勢いあまって障子に突っ込んで障子を破るどころか障子の枠を破壊するというまさかの展開。
 あと友人たちと回転寿司に行ったら、僕の長年の回転寿司ブランクの間に回転寿司が、基本サビ抜きでわさびはセルフサービスという素晴らしいシステムに進化していたこともおどろきだった。

 ここ数ヶ月でいちばん印象的だった台詞は、僕の夢の中で小さな雌猫が力強く叫んだ、「ハンバーグを盗もうだなんて許さない!」。

 傘が裏側からめくられるのではなく正面からつぶされ、東京の電車がほぼ全て止まるという台風直撃の中、やっと初めての相対性理論のライブ。
 やくしまるえつこさんの、あの声質からは想像できない安定した歌いっぷりにおどろかされた。曲間は主に、僕はヒロさんのライブレポートで予習してけれどその通りに、ペットボトルの水を両手で大事そうに飲んでいた。
 最後の曲の前に放った一言、「ついてきて」は、徹底的に口数が少ない中での一言であるので、強烈に印象的だった。
 その後、やくしまるさんのソロ作品「ノルニル」の意表を突いた感情的な歌いっぷりにも魅了されている。

 古来より「人というものの価値の大半はその人の持つテレビの価値で決まる」と言われているテレビを新しくしたので、僕の人としての大きさや美しさは以前の何倍にもなった。副産物として、映画などを見るのもさらに楽しくなった。

 よい具合の決めポーズをマスターして、自室で様々なタイミングで決めているのだけれど、披露する機会と披露するつもりがない。

2011年8月31日

何より大切なものを気付かせてくれたね

カテゴリー: 日々 at 21:00 by たかはしあつし

 僕の持つ七つの特殊能力のうちのひとつ、「猫に察知される前に猫を察知する」を発揮して、毛繕いに夢中な猫を見つけてこっそりと眺めていたら、やがてそれに気付いた猫が「!?」とおどろいて動きを止めた。猫という生きものはときたま妙に油断している。

 ちなみの僕の持つ九つの特殊能力のうちの他のひとつとしてはもちろん「ナナフシの擬態を見破る」がよく知られているけれど、実はその能力は過去に奥多摩での一度しか発揮されていない。何しろ身近にナナフシが生息していないので、発揮する機会がない。
 そしてこれを読んだ人は、「ナナフシの擬態を見破れなかった場合には能力が発揮されなかったことにさえ気付けないのだから、そんな能力の有無はわかり得ないのではないか」などという小賢しい疑問を抱いてはいけない。僕は僕の持つ十一の特殊能力のうちのひとつ、「察するべきではないことを察してしまったときには察していないことにする」を発揮して、自分の能力に対して疑問を抱かないことに成功していることにしている。

 話を猫に戻して、先日、実家の猫にリードを装着して庭を散歩させていたら彼が、ハチに飛びかかるという蛮勇を発揮して、見事に撃退された。どうやら右足を刺されたらしく、ひとしきり走り回ったあとに、その足を舐めながらしょんぼりとしていた。
 この体験で彼は何か大切なことを学んだと思う。例えば、君がいるだけで心が強くなれることを。

 僕が文章の末尾に唐突に詩的な表現を入れてきた場合、それは唐突に思い出された何らかの歌詞の無意味な引用である確率が高いことは、むしろ積極的に察してくれてかまわない。

2011年8月27日

この瞬間にふたりのルール変わってゆく

カテゴリー: 日々 at 15:00 by たかはしあつし

 2011年8月24日。スティーブ・ジョブズ氏、Apple社のCEOを退任。
 彼がAppleに帰還してからの十数年は、まるで夢のように、夢を与えられ続けた。憧れのNeXTがこの小さなMacの中に、もっと小さなiPhoneの中にも息づいている。本当に夢のような未来が来たものだと思う。
 そんな現在に先導してくれた彼の節目に、改めて謝意を表しておきたい。

2011年8月17日

それはたぶんラスベガス

カテゴリー: 日々 at 23:00 by たかはしあつし

 アイスを買い込んで帰っても翌朝にはそれらが消失しているという、真夏の夜のミステリーが多発している。
 普通の人はその不条理にただ混乱するだけだろうけれど、名探偵としての僕の直感は、犯人らしからぬ意外な人物が犯人だと僕に告げている。そう例えば探偵その人が犯人であると!

 「句読点」について調べようとしてグーグル先生の検索ボックスに「くと」まで入力したら、推測される候補として「クトゥルフ」が表示されるという陰謀。そのままついついクトルゥフについての文章を読み漁ってしまい、宇宙的恐怖によって正気度を削られる。

 菊池たけしさん他によるリプレイ「フォーチューンの海砦」。前作「アルセイルの氷砦」はリアルタイムで連載を読んでいたのだけれど、それから十数年を空けてなぜか今頃、その世界のその後の時代を舞台とした物語というのを、読んでみたくなった。前作に引き続いてのタイムスリップ成分、さらにそこに重ねてのミステリー成分が、僕の心を直撃。
 一方、全く毛色の異なる物語だけれど、宇仁田ゆみさん「うさぎドロップ」最終巻も、僕に対してフェイントなしの正面突破を敢行し、鮮やかに決めてくれた。あまねく全ての人におすすめしたいマンガ。

 ここ最近に出会った名言を記しておく。
 小嶋陽菜さんが卒業するメンバーに向けて贈ったという言葉。
「陽菜も悩みとか相談したかった。でも、悩みが…なかった」
 マクドナルドにて中学生らしき女の子たち。
「わたしたちの年代はもうどんな格好をしても小学生には見てもらえないんだよ」
 サンレコの山下達郎さんインタビューより。
「なぜ音楽を売りたいかというと、アルバムの制作費を増やしたいから。もうワンテイク、もう一曲録りたいだけ」

 僕が夢の中で伊集院光さんに会うときにいつも訪れている、あの外国の高級ホテルっぽい場所は、いったいどこの何なのか。夢の中で伊集院光さんに会うときにはみんな誰しも、あの外国の高級ホテルっぽい場所を訪れているのか。それともみんなそれぞれちがう場所で伊集院光さんに会っているのか。

2011年6月20日

ろくなもんじゃなかった

カテゴリー: 日々 at 00:00 by たかはしあつし

 いまの自分がろくなものになれたとは思わないけれど、かつての自分は本当にろくなもんじゃなかったなと、いまもときたま苦く思い出す出来事がある。
 大学の軽音サークルの学外の同期の女の子が、病に倒れた。僕に見えていた範囲では、とにかく明るい女の子だった。深刻な病だとは、何となく伝え聞いていた。だけれど失礼な言い方かもしれないけれど、重い病なんて似合わない、とにかく明るい女の子だった。
 やがてある日、彼女のために歌を録音して贈るから参加してくれないかと持ちかけられた。僕は、「僕は彼女とあまり付き合いがないから、僕が参加したらかえって、込められる想いが薄まってしまうから」と断った。
 想いを薄めてしまうからなんて断るのではなくて、想いを薄めないように想えばよかった。一人でも多くで歌えば想いは、濃い薄いではなくて、多くなるのだと、そんな簡単なことに気付けばよかった。まあそもそも僕は音痴なので、そういう意味からは、辞退して正解なのだけれど。
 本当にろくなもんじゃなかった。いまもろくなもんじゃないけれど、あのひどさを基準にすればいまは、少しばかりはろくな方向に進んだとは思う。あのときの幼い自分を恥じられる程度には。その程度では不十分だとも思い知っているけれど。

次ページ

フォロー

Get every new post delivered to your Inbox.